最近、ルイス・ダートネル著『この世界が消えたあとの化学文明のつくりかた』を読んでいて思ったのですが、引き継ぎがない仕事をこなす事って、文明崩壊後の世界を生き抜くのに似てないですか?
ルイス・ダートネルの本はタイトルのとおり、文明が崩壊してしまった後にどの様にして生き残り、また化学文明を復活させていくかをテーマにした思考実験の内容が纏められているもので、まだ読んでいる途中ですが「もしもの時に使えるかも」なんてサバイバル知識の獲得を期待をしてワクワクしながら読んでいます。
この本の感想はまた別の機会で書くとして、話を戻します。
ちょっと大袈裟な言い方ですが、「引き継ぎがない仕事をこなす事って、文明崩壊後の世界を生き抜くのに似ている」というのは、ことの重大さにとんでもない差はあるものの、結構合っているんじゃないかなと思っています。
というのも、そう思える経験があったからです。
今勤めている会社に入社して間もない頃、当時上司が2人いたのですが、この2人がとても仲が悪く、一方が急に辞めてしまったことがありました。
僕の部署は設計開発を担当しており、各社員が担当の商品を持っていました。社員が僕を含めて3人だったので、辞めた上司の担当商品の一部を僕が引き継ぐ事となったのですが、その引き継ぎの時にも上司2人が揉めに揉めて、結果的に辞めた上司は「誰でもわかる様に引き継ぎデータをまとめた!」といってすぐに有休消化に入ってしまいました。
運が良いのか悪いのか、元上司が辞めてからしばらくは引き継いだ商品に大きな動きもなく、引き継ぎがなくてもなんとかできる程度の事しかありませんでした。
しかし、それからしばらくして引き継いだ商品に大幅な仕様見直しの話が舞い込んできたんです。
ここから「引き継ぎの無い仕事をこなすことは、文明崩壊後の世界を生き抜くのに似ている」と思うような経験をしていくわけです。
この時の状況を例えるなら、元上司が辞めた日は核弾頭が投下された日で、核シェルターに逃げ込んだ僕は核投下からしばらくしてシェルターを出る事を余儀なくされたといった感じです。
ここで、元上司が残した「誰でもわかる引き継ぎデータ」が登場しますが、はっきり言ってこの引き継ぎデータが全く使えなくて、一箇所に纏まってはいるものの、中身はよく分からないデータ集と言った感じでした。仕事を投げ出せたら良かったのですがそう言えないのが現実で、そのデータ達を元になんとか仕事を進めようとしていきます。
訳の分からない数値データや、ファイル名は全て同じなのに中身が微妙に違う図面達など、理解に苦しむものに溢れていましたが、少しずつそのデータの意味や関連性が見えてきます。
まさに、荒廃している大地で食糧を探していだ時の「こいつ、食べれるぞ!!」というような瞬間で、訳の分からないデータは商品の仕様決定に重要な試験のデータである事が分かるなど、少しずつ前進していきました。元上司のレベルまで追い付けたかは不明ですが、今では大分商品への理解が深まったように思っています。
こうやって前任者の仕事の痕跡を頼りに日々を切り抜けていくことが、ルイス・ダートネル著『この世界が消えたあとの化学文明のつくりかた』を読むことで、「文明崩壊後の世界を生き抜く」というイメージにリンクした、という話でした。
ちょっと飛躍し過ぎですかね。
ちなみにこの経験からもう一つ思ったことがあります。それは、「知識を引き継ぐことは難しい」ということです。なので、この記事で引き継ぎをしっかりしてくれなかった元上司の事を批判したいというわけではないです。
担当者でいる内は自分の中にその商品に対する予備知識や経験があるので、基本的な情報に対して「これぐらい分かるだろう」という気持ちが無意識の内に芽生えてしまうんだと思います。
実際に人にその商品についた基本的なことを聞かれた時、口には出さないですが「当たり前でしょ」と思ってしまう瞬間がありますし。
もし、ある商品について後輩に引き継ぎをしろと言われた時、僕が作る引き継ぎ資料は、果たして元上司のものよりも明快で親切な内容になっているのか、これに対しては正直自信がないです。
もしかしたら、もっと酷いかもしれません。
まだそのような状況にはなっていないですが、今後僕のようなサバイバーを生み出さないために、ここで考えたことは胸に刻んでおきたいと思いました。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。