読書や日常の感想文

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頭の中の文字起こし

【感想】ゼロ年代の名作SFを読んで見た。伊藤計劃『虐殺器官』

以前から読もうと積んで(電子書籍なのでダウンロードですが)あった伊藤計劃の『虐殺器官』をこのGWを利用して読みました。


 

おすすめのSF小説を探すと高確率で見かけるこの作品は絶対に読んでおこうと決めていた作品で、特に伊藤計劃の作品はSF小説界では影響力が強かったようで、彼の作品を検索すると「伊藤計劃以後の〜」という言葉を目にするぐらいなので、読む前からかなり期待していました。そして、期待通りすごく面白かったです。 

あらすじ

舞台は9・11の同時多発テロ以降、テロ撲滅のために徹底的な管理体制(人をIDで管理し、どんな行動も記録される)が構築された世界で、主人公の米軍大尉クラヴィス・シェパードが、後進諸国で急激に増加した内戦や大量虐殺の黒幕を追う話です。

ラヴィスは内戦を指揮する人物の暗殺任務を遂行していく中で、違和感を感じていました。大量虐殺が起きる国はどれも過去の辛い内戦を乗り越えてやっと平和の道を歩み始めたばかりの国だったからです。

何故虐殺が起きてしまうのでしょうか。

任務を遂行していく中、それらの国の共通点として、謎の人物ジョン・ポールの存在が浮かび上がってきます。彼が訪れる先々の国で何故か内戦が発生し、大量虐殺が行われていたのでした。

こうして、クラヴィスはジョン・ポールを中心とした争いの渦に巻き込まれていきます。

そして、人々を争いに誘う虐殺器官やジョン・ポールの目的、徐々に明らかになっていく真実に、クラヴィスは人を殺めることに対する自分の意思やその罪について悩み、囚われていくのでした。

最後、ジョン・ポールを追い詰めたクラヴィスはある選択をして物語は終わります。

 

とても面白かった

殺し合いの過激な表現と主人公の人を殺める意思や罪といった繊細な悩みがコントラストに引き立て合って物語に没入しやすく、とても楽しめました。

とにかく人が死ぬ時の表現がすごく生々しくて怖いんですよ。文章を読んで頭に浮かぶ死体のイメージに初めて鮮度を感じましたね。そんな死体を生み出している主人公は米軍大尉の厳つい肩書きに反して一人称が「ぼく」と精神的な幼さを感じる人物で、人を殺す意思とその罪について常に悩んでいます。

本作とは別の作品の『ハーモニー』でもそうでしたが、伊藤計劃の作品は人間の意志を題材にした内容がとても興味深く、しかも実際に未来に起こり得そうな内容なので読んでいて非常に面白いです。

 

死の境目について

科学技術の進歩により、人間の脳をコントロールしたり、どんなに酷い傷もナノマシンの力で生命を繋ぎ止めたりなど、科学技術が人間の持つ機能を補ったり制御すればするほど、その意志、その生命が人間のものであるか曖昧になってきます。

主人公は過去に交通事故に遭って脳を損傷して意識不明となった母親の生命維持について医師から選択を迫られ、生命維持をしない選択をしました。

主人公はそれを自分が母を殺したのではないかと悩み続けています。これは現代でもあり得る話ですが、本作のように脳の解明が進んだ未来ではもっと複雑化するんでしょうね。

科学技術によって自発呼吸や歩く事も制御できるようになれば、本人の意識が無くても、意識がある人と同じような行動をできるようになったとしたら、どこに死の境があるのかがわからなくなります。

きっと僕も同じ状況に立った場合、自分が殺してしまったという考えに一生悩まされるのだと思います。

以前、東野圭吾の『人魚の眠る家』という本を読んだことがあるのですが、その本の中のほぼ脳死と判定された娘を生きていると信じる母親が、娘を殺したら殺人となるのかと問う場面を思い出しました。人にはそれぞれ感情と意思があるので、理屈では割り切れない部分がどうしても出てきます。この問題はこの先の未来ももずっと答えが出ないのかもしれません。

 

人の意思について

作中に前頭葉局所マスキングという架空の技術が出てきます。特定の感覚を科学技術の力で覆い隠して抑え込む事で、人を殺めるなどの行動を抑制する心理的障害を取り除いたり、痛みを知覚できるけど感じないようにするといったことが可能なようです。

先程書いた、理屈では割り切れない部分を割り切れるようにしてしまう技術で、この技術によりどこまでが自分の意思なのかが曖昧になってしまうわけです。クラヴィスは戦場で敵兵を殺す時の殺意が自分のものなのか疑問を抱くようになっていました。

これも非常に興味深いですよね。

自分の行動を全て機械に制御されるのでは無く、部分的に制御されている時、その状態で行う行動は自分の意思と機械の制御の混ざったものになります。じゃあ、その行動は自分がそうしたいから取った行動なのか、機械に作られた目的の為に取った行動なのか、どちらなんでしょう。

機械の制御を受けると選択した意思は自分の意思なので、そこから生み出された結果は自分の意思によるものだとは思いますが、自分がもしその立場に立ったとき、はっきりと自分の意思だと言い切れる自信は無いと思います。この先、脳を科学の力でコントロールすることが当たり前の社会が来た時、「自分」という概念が今とは全く異なっているんでしょうね。

 

おわりに

今回、伊藤計劃の『虐殺器官』の感想を書いてみました。おすすめされているだけあってストーリーが面白い事はもちろんですが、その内容から自分の中で色々考えが広がっていくところが特に良いですね。作中に登場する技術は、飛躍し過ぎずイメージしやすい設定で、かといって現実的過ぎず夢も含まれている、といった印象でそういった部分も面白かったです。

物語の結末は、全く予想できない終わりで読む人によっては感想が分かれそうだとは思いましたが、僕は結構好きでした。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。